あなたと出会って、心の在り処を知った。

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SPECIAL

2022.11.30[WED]

[&0]風晴優人の信条 灰色の部屋の秘密04

[風晴 美玲]

実は先日、私……母と会ったんです。

(!
お母さんに……?)

風晴さんと美玲さんには
母親がいない。

ふたりが幼いときにふっといなくなって
それっきり──
美玲さんからそう聞いている。

紅茶のカップを
音を立てずにソーサーへ戻すと、
美玲さんは小さな声で話しはじめた。



* * * * * * *






──数日前のことです。

私が大学から帰ると、自宅の門前で、
大伯父様がひとりの女性と口論をしていたんです。

口論というか……
大伯父様が一方的に相手の方を叱りつけていて。

私にはいつも優しい方なので、驚きました。

相手の方は50代前半くらいの、
コートに身を包みサングラスをかけた、長い髪の美しい人でした。

表情はわからなかったんですが、
その方はひどく青ざめた顔で唇を噛み締め、
棒立ちのまま身を震わせていて……

ふたりは立ちすくむ私に気づかないまま、
やがて女性は頭を下げて逃げるように背を向け、
大伯父様は肩を怒らせて中へ入り、守衛さんに門を閉めさせました。

私はその場から動けずに、立ち去る彼女を見つめていました。
すっと背筋の伸びた後ろ姿に、私、ピンと来て……

追いかけて、訊いたんです。
「私たちのお母さんですか」と。

サングラスを取った彼女の目元……
兄とそっくりでした。

はじめて私、母親の名前を知りました。

美青みさお──美青みさおさん、という方が、しっくり来ます。

生まれたばかりで彼女は出奔しゅっぽんしたこともあり
私は母親の記憶がありません。
なので、愛着が何もない分、恨みも悲しみもありません。

ただ……幼い兄と私を置いていったのはなぜなのか、
不思議に思うことは度々ありました。
その疑問も年々、薄れていったんですが。

美青さんは私を見つめて、
「美玲」とひと言、名前を呼ぶと……
あとは口を閉ざして、ただただ震えるばかりでした。

うろたえて後退りする彼女を、
私はとっさに引き止めて、思いつくままに近況を伝えました。

自分や兄は何不自由なく育ち、元気でいること、
私は大学に通っていて
兄は探偵になって立派に働いていること。

口早にしゃべっていたら、背後で門が開く気配がしました。

大伯父様が戻ってきたのかも──そう思って、
私ははっと口を閉じました。

美青さんは、震える手を私に伸ばしかけて、
でも、やめて……
頭を何度も何度も下げ、歩き去っていきました。

私も、気づかないうちに動揺していたんでしょうね。
連絡先を聞くのを、すっかり失念してしまって……
ただ去っていく彼女の背中ばかり見つめていました。

門を開いたのは、父でした。

「そんなところでどうした?」と聞かれて、
私は何も言えませんでした。



* * * * * * *





(そんなことが……)

[風晴 美玲]
母と話したとき、兄の職場の名前もぽろっと
口にしてしまったんです。
ですので……

[ヒロイン]
お母さん──美青さんが、風晴さん宛てに
お金を送ってきたのではないか、と……?

[風晴 美玲]
はい……理由はよく、わからないのですが。

こくりとうなずいた美玲さんの目には
涙がいっぱい溜まっていた。

[風晴 美玲]
とても迷ったんですが……
兄にだけは、美青さんが訪ねてきたことを話しました。

[風晴 美玲]
兄は終始黙ったまま表情を凍らせていて、
聞き終えると、ただ「そうか」と……。
それ以上は何も、言おうとしなくて……。

風晴さんの自宅を訪れたときに
寂しい笑顔を見せたわけが
やっとわかった。

(ふたりの母親──美青さんが
なぜ今会いに来たのか、お金を送ってきたのか
その真意は不明だけれど……)

[ヒロイン]
話してくれてありがとうございます、美玲さん。
風晴さんと、話してみます。

ハンカチを手渡しながら
私は小さな手をそっと握った。

[ヒロイン]
風晴さんの気持ちを、聞いてみようと思います。
もちろん、風晴さんが話したくなったら、ですが。

[風晴 美玲]
ありがとうございます……。

涙はこぼれるままにして、
美玲さんはぎゅっと
私の手を握り返した。

[風晴 美玲]
兄のそばにあなたがいてくれて、
本当によかったです。

[ヒロイン]
私のほうこそ。

微笑み合って涙を拭いて、
お茶をおかわりした。

生きているとこうして
ひどく胸の痛む日がある。

けれど、降りかかるのは
決して痛みだけではないのだ。

紅茶はやわらかな湯気を立て
涙が乾いた美玲さんの頬を
ほわほわと撫でていた。





* * * * * * *






ふたりきりで話すよりも先に、
風晴さんのほうから
この件について口を開いた。

所長たちの前で、至って淡々と。

[火村 匠]
……なんだって?

所長の席に集まった私も火村さんも
風晴さんの横顔に目が釘付けになった。

所長だけは表情を変えず、
今日も気だるげに
デスクに頬杖をついている。

[風晴 優人]
ですから、この封筒は
俺の母親であった人物が送りつけてきた
可能性が非常に高いということです。

[火村 匠]
いや、それは理解したんだけどよ……。

(そんな、何ごともなかったような顔で……)

湧き上がった疑問は
すぐに解けた。

(違う……何ごともなかった、わけがない)

業務報告中と変わらない
礼儀正しく冷静な表情。

この人はきっと今、
どんな顔をしていいのか
わからないのだ。

[結城 怜二]
で、例の封筒、どうすんの?
つか、どうしたい?

[風晴 優人]
それは……。

[結城 怜二]
いっそ突き返しに行ってみっか?

[風晴 優人]
ですが、相手の所在もわかりませんし。

[火村 匠]
いや、わかるだろ、所在なら。

[ヒロイン]
……そうですね。

[風晴 優人]
え?

[結城 怜二]
困るってー、風晴。
自分がどこでエース張ってんのか忘れたのか?

にやっと笑い、所長が身を乗り出す。

[結城 怜二]
うちは向かうところ敵なしの、ハロー探偵事務所だ。

[風晴 優人]
……そうでしたね。

[結城 怜二]
わかんねーことは調べりゃいい。
ただし、お前が知りたいかどうかが大前提な。

[火村 匠]
関わりたくないならそう言っていい。
俺が対処する。

[風晴 優人]
俺は……──





* * * * * * *








数時間後。
探偵というのは恐るべき職業だと
私は改めて思い知った。

(もしくは、ハロー探偵事務所のみなさんが
特別なのかもしれないけれど)

執務スペースに西陽が差し込む頃には
美青さんの居場所、職業、暮らしぶりまで
すっかり判明していた。

[空田 圭介]
サクッと現地確認してきたよー。
場所、間違いなさそー。

[風晴 優人]
半日もかからずにですか……?

[空田 圭介]
ゆーて電車で往復2時間ちょいじゃん?

[輿水 直]
にしたって空田さん歩くの速すぎ!
ほぼジョギングじゃん!
もうオレへとへと……。

[空田 圭介]
どこ行っても直が可愛がられるんで
聞き込み楽だったわー。

[輿水 直]
そ、そう……?
ならいいけど。

[花澤 聖騎士]
絵葉書の場所、東海林さんの記憶で間違いなかったでしょう?

[輿水 直]
うん、地元の名所だってさ。
よく覚えてんね、東海林さん。

[東海林 広樹]
別に。
前に見た旅番組の映像が頭に残ってただけ。

[東海林 広樹]
お手柄なのはナイトでしょ。
絵葉書が売られてる旅館を数分で特定したんだから。

[花澤 聖騎士]
消印の住所と絵葉書の場所の情報が
あったからですよー。

[花澤 聖騎士]
ネットの海をうまーく泳げば、
たいていのものは見つかります。

[東海林 広樹]
ナイトの『泳ぐ』は、常人からしたら
深海探査だから。

[白鳥 譲治]
優人くんの受け持ちの仕事の引き継ぎも
無事に終わったよ。

[山神 斗真]
ジョージくんと僕でクライアントのケアは
万全だ。

[山神 斗真]
安心して僕の屍を越えてゆきたまえよ!

[白鳥 譲治]
優人くん並にバリバリ働くのは難しいからって、
過労で倒れる前提は駄目だよ、斗真さん。

[火村 匠]
安心してくれ。
そうならねえようにサポートするからよ。
ってわけだから……
風晴は明日から2日間、完全フリーだ。

みんなの報告を黙って聞いていた
風晴さんは、迷うように目を伏せる。

[空田 圭介]
旅館の人に確認できたよ、風晴。
美青サンってヒト、そこの社員だって。
仕事で出掛けてて会えなかったけど
一応、うちの名刺は置いてきた。

[風晴 優人]
…………。

[空田 圭介]
つっても行かないって選択肢も全然アリよ?

[風晴 優人]
空田さん……。

[空田 圭介]
俺と直は遠足できて楽しかったし、
それでおしまい、でも全然さ。

[火村 匠]
行ってみて、途中で気が変わったんなら
帰ってくりゃいいしよ。

[ヒロイン]
……風晴さん。
あなたが行くなら、私も同行していいですか?

[風晴 優人]
お前が……?

[ヒロイン]
個人的な問題だからといって、
必ずしも独りで向き合うことはないと思うんです。

[輿水 直]
センパイ、やさしー……!
まあオレも協力してあげる気満々だけどさ。

[山神 斗真]
この根城に集いし我々皆、エースたる優人くんに
力を貸したくて血湧き肉躍っているのさ。

[東海林 広樹]
お世話になってる風晴さんの役に立てる機会なんて
まあレアですもんね。

[白鳥 譲治]
もちろん『何もしないでほしい』っていうのも
選択肢のひとつね?

[花澤 聖騎士]
……風晴さん、あの、ものすごーく
私情込みの意見を言ってもいいですか?

[風晴 優人]
構わない、言ってくれ。

[花澤 聖騎士]
子どもを捨てる親って、ろくでなしもいれば
やむにやまれなかった人も、どっちもいるじゃないですか。

[風晴 優人]
……ああ。

[花澤 聖騎士]
……風晴さんとお話ししてると、端々から
感じられるんですよね。
風晴さんのご家族のあったかさを。

[風晴 優人]
え……?

困惑した様子の風晴さんに
ナイトさんが柔らかく微笑む。

[花澤 聖騎士]
それってきっと、自然発生したものじゃないです。
風晴さんご家族が、みんなして一生懸命、
培ってきたものだと思うんです。

(培ってきたもの……。
ナイトさんの言葉、とてもわかる)

風晴さんと美玲さん──
兄妹であるふたりはどこか、
同種のぬくもりを備えているような気がする。

[花澤 聖騎士]
肉親に愛情がデフォルトで備わってるなんて
夢物語だと個人的には思うんですけど……
愛ある人も間違いなくいるんだなって、
風晴さんを通して知りました。

[風晴 優人]
……そんなことを思っていたのか、ナイト。

[花澤 聖騎士]
ふふふ、初めて言ってみました。

[結城 怜二]
さてと。
じゃ、もっかい聞くけど……
風晴、お前はどうしたい?

[風晴 優人]
……やはり、会ってみようと思います。
腹が立っているので。

[結城 怜二]
んー?

[風晴 優人]
もはや顔も覚えていない相手ですし、
彼女に対して何の感情もないですが……

抑揚のない声で、風晴さんが続けた。

[風晴 優人]
突然妹の前に姿を現し、今さら俺に現金を送りつけ……
一体どういう了見か、
問いたださずにいられません。

[結城 怜二]
……あっそ。
まあ、じゃ、行って来い。

所長は立ち上がり、
旅館の住所が書かれたメモを
風晴さんに手渡した。

それからすれ違いざま
私の肩をぽんっと軽く叩いた。

[結城 怜二]
よろしくな。
風晴を頼むわ。

[ヒロイン]
承知しました。

[風晴 優人]
……みなさん、お手間をおかけしました。
社員総出で世話を焼かれるとは
正直、想定外でした。

[火村 匠]
悪い、家族の問題に首を突っ込んで……

[結城 怜二]
謝んなって。
風晴が「首つっこんでいい」って
言ったんだしさー。

[風晴 優人]
その通りです。
──礼を言わせてください。
ありがとうございます。

頭を下げる風晴さんに、みんなが息を飲んだ。

[輿水 直]
風晴さんがオレに頭下げた……!

[東海林 広樹]
みんなに、だろ。

[山神 斗真]
ハロー探偵事務所にとって今日という日は
記念すべき日となったね!

[空田 圭介]
はは、素直な風晴うけるー!

[白鳥 譲治]
嬉しい言葉だね。
『ごめんなさい』より、ずっと好き。

[花澤 聖騎士]
どういたしましてです、風晴さん。

[火村 匠]
風晴…‥お前、大人になって……

[風晴 優人]
では、みなさん通常業務にお戻りを。
あとはこちらで処理します。

[火村 匠]
ドライだな、お前……。

[結城 怜二]
風晴らしくていいんじゃねーの?

しんみりした空気は消えて、
みなさん、いつもどおり仕事に戻っていく。

母親捜しの件については
もう誰も口にしない。

(必要なときは手を貸すけれど、
それ以外はそっとしておく……。
触れずにいる優しさも、あるんだな)

けれど、私は──

(今日のうちに進められる分の仕事を
急いで処理しておこう)

席に戻りながら、一瞬、風晴さんのほうへ
目を向けた。

(目……今日は、合わないな)

風晴さんは「顔も覚えていない相手」と言った。
「何の感情もない」とも。

それでも私には、冷静な振る舞いの裏側で
吹雪が吹き荒れているように思えてならない。

風晴さんは以前、私に言ったことがある。

「ずっと、愛されない自分が、恥ずかしかった」と。

気づかないままに抱えてきた傷は深い。

それを私は、
私だけは──
目を背けずに見つめたい。

代わることも、癒やすことも、
他人にはできないけれど。

それでも、あなたのそばにいたいから。

そのとき、FINEの着信音が鳴った。

(風晴さんから……)

明日乗る電車の出発時刻。

新宿駅11:15発。

風晴さんの過去とつながる、小さな旅が始まる。