2022.11.30[WED]
[&0]風晴優人の信条 灰色の部屋の秘密02
[ヒロイン]
──おじゃまします。
整理整頓の行き届いたリビングが
冷え切った私たちを出迎えた。
(前にここを訪れたときはまだ、
想いを交わしていなかったんだな……)
以前はなかった緊張と鼓動の高鳴りに、
スリッパに差し入れたつま先が
落ち着きなく縮こまる。
[風晴 優人]
すぐ食事にする。
待たせて悪いな。
[ヒロイン]
風晴さんの手料理を食べられるのなら
いくらでも待てます。
ジャケットを脱ぎかけ
風晴さんがぴたりと動きを止める。
[ヒロイン]
風晴さん?
[風晴 優人]
……すまない、一瞬、意識が飛んだ。
[風晴 優人]
お前はどうしてこんなに可愛いのか、
考え込んでいた。
(「可愛い」……)
かじかむ指先が、こそばゆくなる。
[ヒロイン]
そんなことを真剣に考えるのは
世界で風晴さんひとりだけです。
[風晴 優人]
そんなわけがあるか。
電車の中でも……
[ヒロイン]
え?
[風晴 優人]
……笑うなよ?
[風晴 優人]
……乗車中ずっと、お前へ向かう他人の視線が
気になって仕方がなかった。
[風晴 優人]
最近は、いつもそうだ。
(だから電車に乗っている間、
私を隠すようにして隅に立っていたの……?)
指先のむずがゆさが
はっきりとした熱に変わる。
[ヒロイン]
……風晴さんは間違っています。
視線を集めているのは、私ではなく風晴さんです。
[風晴 優人]
俺?
[風晴 優人]
そんなことはないだろう。
見られる理由がない。
[ヒロイン]
あります。
あなたはとりわけ、格好いいから。
[風晴 優人]
な……。
[風晴 優人]
まったく、お前は……。
風晴さんが目元を赤くし
そっとこちらへ手をのばす。
温もった指先が
私の目元をそうっとなぞる。
[風晴 優人]
……なんなんだ、その目……。
[風晴 優人]
一体どうしてそんなに可愛いんだ……?
(あれ……?)
[風晴 優人]
ん……?
[風晴 優人]
さっきも俺は、まったく同じことを言ったか……?
[ヒロイン]
言いましたね……。
しばらく顔を見合わせたあと、
同時に吹き出した。
[風晴 優人]
はは……どうしようもないな、俺は。
[風晴 優人]
ジャケットも脱ぎかけで、
椅子も勧めずにお前を足止めして。
[ヒロイン]
私も全部、忘れていました。
(あなたとこうしている今に夢中で)
[風晴 優人]
コートをこっちへ。
かけておく。
[ヒロイン]
ありがとうございます。
食事を作るの、私も手伝います。
[風晴 優人]
構わない、くつろいでいてくれ。
仕込みはすでに済んでいる。
(朝早く出社していたのに、仕込みまで……)
私の恋人は
どこまでもパーフェクトだ。
パーフェクトだから
好きになったわけでも
ないのだけれど。
(あ……)
ソファに座って待つうちに
出汁の香りが漂ってくる。
(今夜はふたりでお鍋……。
何日も前から待ち遠しかった)
やがてミトンの鍋つかみをはめて
風晴さんがお鍋を運んできた。
向かい合ってテーブルにつき
見つめ合って手を合わせて
「いただきます」と言い合った。
おしゃべりをしながら
野菜たっぷりの水炊きで温まり、
風晴さんお手製のお漬物をつつき、
お酒を注ぎ合う。
生真面目なおままごとのような
ひどく甘い時間。
(家族というのはもしかしたら
こんなふうなものなんだろうか)
一緒に洗い物をしたあとは
ソファに並んで腰掛け──
肩を寄せ合ったら、無言になった。
薄いシャツから体温が伝わって
心音がよりいっそう
大きく速くなっていく。
(風晴さん、ほかほかしている……。
お酒が少し、回っているのかも)
(手、つなぎたい)
緊張しながらソファの上で
手を這わせると、
熱い指先にぶつかった。
[風晴 優人]
!
ぴくん、と互いに
指先を縮こまらせ──
それからゆっくり、絡め合う。
[風晴 優人]
……今日、目が合ったな。
[ヒロイン]
え……?
[風晴 優人]
仕事中だ。
見ていただろう。
[ヒロイン]
……はい。
[風晴 優人]
俺も、お前を見ていた。
[風晴 優人]
実は……しょっちゅう、こっそり見ているんだ。
[ヒロイン]
!
そうなんですか……?
私の顔を横目で見やり
風晴さんが小さく笑う。
[風晴 優人]
お前という存在がそばにいることが、
毎日、嬉しくてたまらない。
耳をくすぐる囁きが
お鍋の湯気のように
しっとりと肌に沁みてくる。
[風晴 優人]
職務怠慢にならないよう、自分を律しているんだが……
[風晴 優人]
お前に目を奪われるのは、もう仕方ない。
(もしかして、風晴さんが最近
いっそう仕事に打ち込んでいるのは、
私と同じ理由なのかも……)
恋に溺れて、うつつを抜かして、
そんな自分を必死に制して、
精いっぱい澄まし顔を作って
浮かれ心地なのをひた隠している。
[風晴 優人]
……仕方のない人間だと思ったか?
[ヒロイン]
いえ!
そんな……
[風晴 優人]
こんなこと、初めてなんだ。
漏れた声が切なくて
否定の言葉が途切れてしまう。
[風晴 優人]
……夢見心地なんだ、ずっと。
これほど愛しい相手が、
自分のそばにいてくれるなんて。
間近に迫る瞳が
しっとりと潤んで光る。
[風晴 優人]
ありえない奇跡みたいで……
急に夢からさめないか、少し怖い。
(どうして……
そんな寂しい顔で、笑うんですか)
湧き出る疑問がゴム球のように
喉に重く詰まる。
言葉にして尋ねたら、
この人が必死に埋めようとしてきた孤独を
暴いてしまう気がして。
[ヒロイン]
……何かありましたか?
[風晴 優人]
ん……?
[ヒロイン]
今日はなんだか……たくさん甘えてくれるんですね。
[風晴 優人]
……迷惑なら、控える。
[ヒロイン]
控えたら駄目です。
[ヒロイン]
あなたに甘えられることで、
私もあなたに、甘やかされているんです。
[風晴 優人]
では……お互いさまだな。
[ヒロイン]
はい、お互いさまです。
つないだ手に、風晴さんが力を込めた。
すがるような手付きで。
けれど、ごくごく控えめに。
振りほどきたいなら
それで構わない──そう言いたげに。
[風晴 優人]
俺を受け容れてくれるお前の度量に、
いつも感心する。
[風晴 優人]
俺も、お前に相応しい人間に
この先なっていけるといいんだが……
(相応しい人間……
それを言うなら私の方こそ)
分不相応だと考えそうになる自分を
慌てて戒める。
(誰かが私は風晴さんに
釣り合わないと言おうと、
この気持ちは揺るがない)
[ヒロイン]
風晴さん。
私は、今の風晴さんが好きなんですよ。
[風晴 優人]
……ありがとう。
[風晴 優人]
お前は優しいな……。
ほろ酔いなのか、とろんとした目で笑い
風晴さんが私の頭を撫でた。
心地よさに肌がざわめくのと同時に
もどかしさも加速する。
(こんなに、この人が愛おしいのに
愛おしいと、この人も伝えてくれているのに
胸が痛むのはなぜだろう)
[風晴 優人]
眠くなったらちゃんと送っていくから……
もう少し俺のそばにいてくれないか?
[ヒロイン]
……質問しなくてもいいです。
[ヒロイン]
私はいつだって、あなたのそばにいたいので。
まっすぐに見上げると、
切れ長の瞳が、いっそう熱を帯びた。
[風晴 優人]
今すぐ、お前にキスしたいんだが……
いいか?
[ヒロイン]
それも、質問不要です。
風晴さんがしないなら、私からするまでです。
[風晴 優人]
それも、悪くないな。
小さく笑い合って、唇を近づける。
交わる吐息が、どちらも熱い。
[風晴 優人]
……目を閉じないのか。
[ヒロイン]
風晴さんが閉じたら、閉じます。
[風晴 優人]
お前を見てたい。
[ヒロイン]
……自分だけ、ずるいです。
[風晴 優人]
俺だって、ずるくらいする。
(!)
ちゅ、と唇を盗まれて
とっさに目をつむってしまった。
唇を噛んで目を開けると、
目の前で好きな人が笑った。
[風晴 優人]
本当に、どうかしているほど可愛いな。
言い返したいのに、
心臓が破けそうで声にならない。
(やっぱり、目、開けていられない……)
目を閉じたらまた唇が触れて、
私たちを包む世界が